第1章 一、後押し。
「なんだ娘、気づいていないのか。」
「…何のことでしょう。」
藤田さんはやれやれと首をすくめて、それから何かを考えるように唇に人差し指を当てて「ふむ」と漏らした。
「こんな小娘の相手をするとは…奴もさぞ苦労することだろうな。」
「……。」
「お前があの美術学生と歩いている時に俺が話しかけることがあるだろう。その時の奴の目を…お前は見たことがないのか。」
春草さんの目…?
現代でいう職務質問に近いことを、藤田さんは私に対してよく行う。
それはきっと私が魂依で、藤田さんが妖羅課の刑事であるからであって、その他特に意味はないと私は思っている。
藤田さん的にはきっと、世間を騒がせている物の怪による騒動について私から情報を得たい…ただそれだけなのだと思うのだけれど。
…鹿鳴館でのことがあったからか、春草さんは藤田さんから私を庇うようにして彼の前に立つ。
面倒なことが嫌いなはずなのに、春草さんはいつも藤田さんから私を守ろうとしてくれる。
「…背中しか見てないので、どんな目をしているのか分かりません。」
春草さんはいつも、どんな表情で藤田さんと向き合っているのだろうか。
警視庁の警部補に立ち向かうなんて、今考えるとなんて勇気のいることなのだろう。
藤田さんは眉を少し動かしただけでため息をつくと、くるりと踵を返して歩き出してしまう。
「お前は、もう少し奴を見てやるといい。…恋仲なのだろう?」
最後に聞こえたそのセリフは、どう受け取ればよいのか分からなかったけれど、皮肉や嫌味ではないことはすぐに理解できた。
私、もしかしてまだ彼のことを全然知らないのだろうか。
ううん、もしかしてじゃなくて知らない。
不器用で素直じゃなくて、でも優しくて。
よく私のことを見ていてくれるから、些細な変化にもすぐに気付いて、そして心配してくれる。
「私、すごく甘えていますね。自分のことに精一杯で、春草さんが私のこと考えてくれているのに…全然見えてない。」
「……。」
ツカツカと戻ってきた藤田さんは、高圧的な態度で私を見下ろすと静かな口調で言った。
「男は、頼られることが好きだ。好いた女子なら尚更嬉しく思うだろう。気付いたことはお前にとって大きな一歩だ。だが、奴に甘えない、という選択肢を選ぶのは正解ではない。…せいぜい、悩むことだな。」