第16章 シンパビート 空条 ★
突然、お前が泣きそうになってした触れるだけのキス。
思い切り殴られて、触れた唇を強引に拭って家の方へ走って行ったのを覚えている。その後ろ姿を俺は追いかけなかった。
何故お前は泣きそうな顔をしたんだ、いつだって俺といるときには酷く機嫌をナナメにさせて、俺はそれを見てとても満足していたのに。今日に限ってお前は泣きそうな顔をした。気が付いてないのかもしれないが、遠い地を眺めるような目をしていたんだ。俺は初めて寂しいという感情を知った。
平然とした表情で俺はお前の隣に立つ。
別にここらの空気が特別って訳じゃあないんだろうが、俺の肺に送り込まれる空気はお前の横に立っているだけで美味しく感じる。きっと、本当にきれいなんだろう。
「亜理紗、愛してる」
聞き飽きたとまた眉間に皺を寄せる。気分が悪そうに手を口に添えていた。
「触らないで」
その仕草が何故か愛おしくて俺は手を伸ばして腕を掴む。亜理紗は思い切り振り切った。振り払われた腕に違和感があり視線を落とすと、赤くにじんでいた。亜理紗の手にはハサミが握られていた。
お前につけられた傷がどんどん増える。顔にはガーゼ、腕や腹には切り傷が。周りが俺達をどう思っているかは知らないが亜理紗は目を細める。
何故だ、お前がまた遠く感じた。寂しい。
「少しでもいい、俺の前で笑ってくれ」
そう零した俺は正直不安だったんだろう。初めて弱味を口にしてしまったがお前は驚きが隠せないというようにピタリと動作を止めていた。すると亜理紗はぎこちなく、本当に少しだけ笑った。綺麗な笑顔だった。
偽りの笑顔でさえ美しいお前が、この世界にいるなんて俺はなんて幸せ者なんだろうか。
「ねえ、あなたは私のどこが好きなの?」
珍しく話しかけて来た亜理紗に俺は嬉しさを隠せなかった。我ながらとても単純な奴だぜ。
「全部、全部が好きだ」
そういうと小さくうなずいて
「…あなたが好きな私が大嫌い」
そういった。
俺は、お前を好きになってはいけないと、そういうのか?