第3章 その娘、王族にて政略結婚を為す
然しその眠りはベッドの軋む音で妨げられることとなる。
ぎしりとベッドの上げる悲鳴が耳の横で聞こえ、ふわふわと夢の中を漂っていた精神が現実へと引き戻された。
働かない頭で辺りを探れば、近くで人の動く気配がする。
怠さの抜けない瞼をゆっくり開けると、眠りに就いてから然程経っていない様で、先程と変わらず辺りは真っ暗だった。
指先すら動かすのが億劫で何度か瞬きを繰り返すと、誰かの手が莉蘭の髪に触れ、そのまま何度か梳く様にして動く。
黒く長い髪がさらさらと立てる小さな音が耳に心地良い。
頭を撫でられる感覚が妙に気持ちよく、莉蘭は再び目を閉じた。
すると手の主がふっと笑いを溢す。
「まるで猫だな。」
低く掠れた小さな声だったが、寝ぼけた頭を起こすには十分だった。
その声の主が誰であるかを理解した莉蘭は、弾かれた様に体を起こすと近くに座っているであろう人物を探す。
月明かりのお陰でぎりぎり認識出来る程度だが、闇に紛れてそこに居たのは先程の宴で自分の隣に座っていた男だった。
「紅炎様…」
何故彼が此処に居るのか全く分からなかった。
莉蘭は自分が今どんな格好なのかも忘れ、只々紅炎を見る。
「何をそんなに驚く。」
紅炎は莉蘭が驚いていることに驚いている様だった。
誰だって自分の寝ている部屋に侵入者が居ればそりゃ驚くだろう、と莉蘭は心の中で呟く。
然し紅炎はそんな事を微塵も考えていない様子だ。
「い、え…父とのお話は済みましたか。」
未だ混乱から抜け出せない莉蘭は、取り敢えず当たり障りない話でその場を繋ごうと考えた。
何も話さないのも気不味い。
紅炎はそれすらも見透かしているかの様に薄っすらと笑みを浮かべていた。
「あぁ。」
「何のお話をなさっていたのですか。」
「『此処ではない世界』についてだ。莉鎧殿とは気が合う。」
「左様でございますか。父も喜んでいると思います。…幼い頃からよく話してくれましたから。」
莉蘭はそう言うと、紅炎から視線を外してふっと微笑んだ。
幼い頃、父は特によく話してくれていた。
仕事で厳しい顔をしていても、その話をすると途端に笑顔になる。
莉蘭もそんな父と父の話す『此処ではない世界』の話が好きだった。