第5章 その娘、妻と成りて恋を知る
莉蘭が部屋を出る少し前、未だ湯浴みをしていた頃。
一人の男が、何時も以上に顔を顰め空中を睨んでいた。
「兄王様、その様なお顔では相手に失礼ですよ。」
「……。」
注意しても直す気配は全く無く、ただ黙りを決め込む男、紅炎に、流石の紅明も内心で溜息を吐いた。
事の始まりは約一週間前。
煌帝国皇室に一通の手紙が届いた。
『煌帝国第一皇子である紅炎に、是非とも会わせたい人が居る』
要約するとそう記された手紙と共に、紅炎にはある命令が下された。
それは、とある大臣の娘と対面する事。
その大臣は煌帝国でも重役を担うそれなりの権力者で、王族側からしても邪険には出来ない存在だった。
詰まり、紅炎自身に拒否権は無い。
内容自体は何ら難しい事は無い物だった。
娘と会い、食事をして、話をする。
ただそれだけだ。
然しこれは、言ってしまえばお見合い。
遠回しに『うちの娘を側室に』と薦めているのである。
元々色恋沙汰に微塵の興味も無い紅炎に「大人になれ」と言うのもまた酷な話であるが、此処で放置して反感を買う様な事が有れば、何処かしらでやり難くなってくるのは火を見るよりも明らかだった。
例え王族と言えど、最高権威は未だ現皇帝紅徳にある。
行政に深く関わっている紅明からすれば、権力者から反感を買う事は出来るだけ避けたいのだ。
「……兄王様」
「分かっている。」
紅炎はそう言うと深い溜息を吐いた。
全くもって、溜息を吐きたいのは此方の方である。
以前は此処まで酷くなかったのに、と紅明は先程吐けなかった溜息をひっそりと吐き出した。
何も今回が初めてという訳ではない。
以前にも数回似た様な事が有った。
その時も不服そうに顔を顰めていたが、仕事なんだと言えばちゃんと割り切っていた。
此処まで機嫌が直らないのは初めてである。
(今回だけなら良いんですけどね…)
これから先もこういった事が無いとは限らない。
寧ろ多くなるだろう。
紅明はこの心配が杞憂に終わる事を、心の底から祈っていた。