第9章 手を差し伸べてくれたのは
汐が夕飯をどうするのかなんて、答えが分かりきった野暮な質問はしなかった。
このまま凛が帰れば汐はひとりで夕飯を食べることになることは明白。
あの話の後に孤食をさせることは出来ないし心配だった。
「汐、待たせたな。行こーぜ」
部屋で待っていた汐に凛は声をかけた。
「あ、凛くん、お片付けありがとう。凛くんのお母さん、なんて?」
「大歓迎だって喜んでたぜ。早くいらっしゃい、だって」
「そっか、よかった…。あ、あたし着替えなきゃ」
安堵の笑みを浮かべたのも束の間。自分の今の服装を思い出したようでわたわたと慌てて衣装部屋に向かおうとする汐。その手を掴んで引き止めた。
「いや…、そのままでいいぞ」
「え?でも、凛くんのお母さんに会うんだしちゃんとして行った方が…」
恋人の家に行くのならそれなりの服装をして行きたいという汐の思いを汲むべきか迷ったが、家ではきちんとした服を着ていないと怒られるという汐の潜在意識を払拭する良い機会だと思った。
「…汐が着替えたいんなら着替えてもいいと思うが、あんまりかしこまった服着てくと多分母さんも江も驚くだろうな」
「そう?じゃあ、このままで行く…」
少し言い方が意地悪な気がして申し訳なかったが、何とか汐は納得してくれた。
不安そうな汐を安心させるように頭を撫でると、行くぞと手を引いた。
「凛くんのお母さんと顔を合わせてゆっくりお話するの初めてかもしれない」
「そういえばそうかもな」
凛の家に向かう道中、ふと汐は思い出したように言った。
確かに汐の言う通り、年始に挨拶はしていたがすぐに母と江は岩鳶の祖母の家に行ってしまった為、挨拶以外の会話は少なかった。
「凛くんと江ちゃんはお母さん似だね」
「ああ、よく言われる。けど、親父を知ってる人には最近親父に似てきたとも言われる」
「凛くんのお父さんか…」
少しの沈黙。そして汐は続けた。
「あたしと夏貴もね、お母さん似」
「…!だろうな」
だろうな、なんて平静を装ったが、汐の口から今まで自発的に出てきたことの無い母親の話が出てきて、凛は驚き思わず汐の顔を見つめる。
先程家族のことを語っていた時の底冷えした瞳は無く、そこにはいつも通りの穏やかな表情があった。
幼い頃から抱き続けてきた両親に対する感情と我慢し続けてきた涙を、叫ぶように吐き出したことで自分の中で気持ちの整理がついたのだろうか。