第32章 翼
「それをお前に貸してやる。大したものではないが、これは……約束だ」
「はい。受け取りました」
「やるのではない、貸すのだ。必ず、返しに戻ってこいという証だ」
「ふふっ、わかりました。必ず……必ずや返しに戻って参ります」
「身体には気を付けろよ。きちんと、睡眠も取るのだぞ」
「大丈夫ですよ、一様ではありませんから」
「……それもそうだな」
山崎は、まるで二人に気を遣うように少し離れたところへ歩いて行き、視界を空で埋めていた。斎藤はそれを知ってか、志摩子の前髪をゆっくり払う。
「俺があの時お前に告げた言葉は、誠だ。俺はお前を守る、何処に居ても……守ってみせる」
志摩子の眼前に、斎藤の綺麗な顔が近付いた。
柔らかに唇が、彼女の額に触れる。そっと離れたかと思えば、斎藤は微笑んだ。
「俺が心から守りたいと思うのは、志摩子だけなのだから」
耐えていた涙が、志摩子の頬を伝う。
「ああ……ずるいです、そんな言葉。一様はいつも、私の心を乱すのがお上手でいらっしゃいます。私も、約束します」
志摩子は額への口付けの代わりのように、斎藤の手を握った。
「貴方の元へ、戻って参ります。約束です」
「……ああ」
離れていく体温、遠ざかる手。ゆっくりと志摩子は斎藤に背を向け、歩き始める。山崎がふと斎藤へと視線を向け、会釈した。
遠くなる二人の影を見つめながら、斎藤は朝日を浴びてまだ群青色を残した空へと顔を上げた。
「会おう、必ず」
その日を境に、彼ら新選組は幕府の命を受け次なる戦場へと赴くことになっていた。時代は変わる、変わり続ける。変化は時代も人も武器でさえも変えていくのだろう。彼らが積み上げて来た全てを、まるで嘲笑いながら壊していくかのように。
変化の波に飲み込まれるように、新選組は浅葱色の羽織を脱いだ。