第32章 翼
「志摩子君、本当にいいのか? 誰に何も言わず」
「……はい、よいのです。きっと彼らとは、また会えると信じていますから」
「そうか。俺の友人の知り合いに、海のずっと向こうで商売をしている者がいる。俺達とは異なる文化を持ち、異なる国で生きる者だ。悪い奴じゃないはずなんでな、安心してくれ」
「はい、大丈夫ですよ」
志摩子の脳裏に浮かぶのは、斎藤の顔だった。
これが最後ではない、別れなどではない。そうわかってはいても……どうしても、心残りのように浮かんでは消えない。振り払うように、屯所に背を向けた。
「志摩子……ッ!!」
名を呼ばれ、振り返ればそこにいたのは斎藤だった。
「一様? ど、どうして……っ」
「志摩子ッ!」
斎藤は志摩子へと駆け寄ると、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。ふわりと彼の香りが鼻を掠める。途端、志摩子は泣きそうな気持になりながらも彼を抱きしめ返した。
どうしてだろうか。志摩子の胸の灯る、淡い光。斎藤のぬくもりに、安心してしまっている自分を知る。胸の奥がぎゅっと絞めつけられて、離れがたい。
「志摩子……必ず、お前が戻ってきてもいいように努める。だから、必ず帰ってくるんだ」
「……はい」
「来なければ、俺がお前を……迎えに行く」
「……は……いっ」
体温を分け合って、朝日に照らされる二人。
ゆっくりと離れると……斎藤は徐に自らの髪を束ねていた紐を解いた。そして、優しく志摩子の髪に触れた自分と同じように髪を束ねると、その紐で結うてやる。髪をそのまま、横へ流せばまるで斎藤の真似事をしているようだ。