第6章 慶応三年二月十五日
「お返しは必要ありません。あの時受け取って下さっただけで私には充分ですから。それと、ご迷惑なら捨てて下さい。あれはもう山崎さんの物です。私の事などお気になさらなくて結構です」
淡々と続ける実桜の姿を意外に思ったのか、山崎はしばらく黙っていた。沈黙が重くなりかけた頃、ようやく山崎が口を開いた。
「…正直なところ、俺は俺自身が君の事をどう思っているのかわからないでいる。君との関わりはあくまで『仕事』であって、恋愛対象として君を見た事がなかったからだ」
「仕事」という言葉に実桜の表情が陰る。頭ではわかっていても、改めて言われると心が痛む。山崎は一度目を伏せた。
「だがあの襟巻を贈られた時、俺は嬉しかった。君の心遣いを心地良いと思った。それは確かだ」
黙って話を聞く実桜の目に驚きの色が映る。一瞬の逡巡の後、山崎は続けて言った。
「それが何なのかはまだわからない。君の気持ちに応えられるものかそうでないのか、俺には判断がつきかねる。だからすまないがもう少し時間を貰えないだろうか」
実桜に視線を移すと、山崎は驚いた。実桜の頬を幾筋もの涙が伝っていたのだ。