第6章 慶応三年二月十五日
一人残された山崎は戸惑っていた。何故己がここへ来たのかわからなかったのだ。だがもう一度ここへ来なければならないような気がした。実桜の気持ちに対する己の答えはまだ出ていない。それでも会わねばならぬと思ったのだ。己の中で芽生えたとても小さな、けれど確実な何かに山崎はまだ気づいていなかった。
「お待たせしました。どうぞ」
実桜が湯呑みを持って戻ってきた。ふわり、と微かに甘い香りがする。見ればお茶よりもとろみのある液体が湯呑みの中にある。
「抹茶の葛湯です。山崎さんの手、冷たかったから。ずっと外にいらしたんでしょう?」
温かいものの方がいいと思って、と微笑む実桜の心遣いに温かなものを感じて山崎の表情が少しだけ柔らかなものへと変わる。礼を言って口をつけると、芯から温まるような気がした。
「それで一体どうしたんですか?」
人心地ついた山崎に尋ねると、また気まずそうな表情へと戻る。言い淀む姿から、実桜はもしやと察して先に口を開いた。
「もしかして千鶴ちゃんから聞きましたか?襟巻の意味」
山崎は一瞬だけ固まったが、すぐに平静を取り戻していた。実桜が少し頬を染めてはいるものの、至って平静を貫いていたからである。
「…ああ、雪村君から聞いた。襟巻の意味と返礼の作法を」
やっぱり、と呟いて目を伏せた実桜はどこか切な気に見えた。