第5章 慶応三年二月十四日
「今日はばれんたいんでえという日なんだそうです。実桜ちゃんのいた所では普段お世話になっている男の人に女の人からお菓子を贈る日なんだそうですよ」
千鶴の言葉に山崎は目を見開く。バレンタインデーの話は聞いていた。だが、まさか自分が贈られる側になるとは思っていなかったのだろう。言葉も無く立ち竦んでいた。
「…山崎さん?」
「…ああ、すまない雪村君。それでその…彼女は何か言っていなかったか?」
千鶴の気遣わしげな問いかけにようやく気がついたのか、暫しの間があった。山崎にしては珍しくおずおずと口を開く。
「何か…ですか?そういえば贈られた男の人は貰ったものの三倍価値のあるものをお返しに贈るのが決まりなんだそうですよ」
「げ、なんだよその決まり」
「三倍返しっていう作法なんだって」
「三倍なんて随分欲張りだよね」
「でもそれが出来ないと野暮天と判じられるそうですよ」
「なかなか手厳しい決まりだな」
「それだけ特別な行事ってことなんだそうです」