第3章 昔日
言葉を失った。
遅くまで自主練する及川と、それに付き合う私以外は誰も居ないとはいえ、ここは体育館。学校だ。
いつものように抵抗しようとして……できなかった。
ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱き締めてくる腕と、肩口に甘えるように擦りつけられる額。
全力で好意を訴えかけてくるようなそれに、今度は私が赤面する番だった。
万感の想いを無理矢理閉じ込めたかのような、細く長い溜め息。
首筋に触れたそれは、酷く甘い。
『……沙々羅』
掠れた囁きに、ぶわっと顔の温度が上昇する。
なんだそれふざけんなおかしいだろそのフェロモンお前幾つだよ中学生だろうが。
『……あのね、俺と付き合ってるとすごい大変だと思う。俺が彼女いるの知っててわざとベタベタしてきたり、意地悪なこと言う子もいるし。でも俺は応援してくれる女の子のことは邪険にできないから。いっぱい辛い思いとか、迷惑とかかけてると思う』
『だけど!』と、そこで及川が身体を離し、肩をつかんで真っ直ぐ見詰めてくる。
相変わらず真っ赤で、中央に寄せた眉を垂らした、今にも泣き出しそうな情けない顔。折角のイケメンが台無しだ。
でも、全身全霊な私への想いが溢れる必死な眼差しにくらくらした。
『本気で、本当に沙々羅だけ。沙々羅が、好きだから……』
尻すぼみに声が小さくなる。
及川は本気で泣きそうだった。ずびっと鼻を啜る音が響く。
……なんだそれ。
私が好きで好きで泣きそうって、馬鹿だ。本気で馬鹿だ。
でも、それがたまらなく叫び出したいほど好きだと思う私も大概、手がつけられないほどの大馬鹿だった。
『好きだよ、沙々羅』
さっきと全く同じ言葉。
けれど、今度は鳥肌も悪寒も感じるはずなく、ただただ及川と負けず劣らずの真っ赤な顔で頷き返すだけで精一杯だった。