第1章 おとことおんなとこどもとおとな
「元気に全うに生きるために、あたし、綺麗さっぱり悟さんの事忘れます。」
帰る支度をしながらぺらぺら喋る。善は急げ、行動は後ろ髪引かれる前にだ。
「悟さんも綺麗さっぱりあたしの事を忘れられるように、コテンパンに振ってやりますか。別れても未練タラタラだったら、息子さん泣いちゃいますもんね。」
上着を持ち上げると、ポケットに入れていた携帯が椅子に勢い良くぶつかった。
「息子さんの言う通り、お金目当ての遊びだったって言ってやろうっと。実際奢ってもらえるのはありがたかったですしね。」
上着に袖を通す。袖口が絡まってなかなか入らない。
「あんなおじさん、誰も興味無いですよーだ。」
鞄を持ち上げ右肩にかける。今日は荷物が多くて重いなぁ。
「あーぁ!重い重い!こんな重いの嫌だわー!」
鞄をかけ直し、左手を下ろした。
指輪がスルリと指から抜け落ち、床で鉄琴のような音を立てた。
これで帰り支度は準備完了。
「今までありがとうございましたー!」
軽くなった左手でマスターに手を振る。制限の無い手は左右に振り放題。
もうぶかぶかの指輪を落とさないために、左手を握りしめたり、右手を添えたり、何かと注意しなくてもいいんだ。
捨てられた指輪は動きを止め、カウンターの影に溶け込み輝きを失った。
ヒールを鳴らして出口に向かう。
そうだ、会社も辞めてしまおう。そうすれば面倒な事は何も起きない。あたしは悟さんから解放される。
もう肩を抱かれて拘束される事も、寝起きを見られて恥ずかしい思いをする事も、悟さんを目で追ってしまい仕事が進まなくなる事も無くなるわけだ。
そう、あたしはこれから自由だ。宛も無く好きな方向に進んで、人生を歩む事が出来るんだ!
・・・どこへ行けばいいのかは、あたしにも分からないのだけれど。