Destination Beside Precious
第3章 1.The Honey Moon
はにかむ汐とは対照的に迫るような夏貴の声が静かな部屋に響く。
ぐつぐつとお湯が沸騰する音がやけに大きく聞こえた。
急に大きな声を出したことには驚いたが、汐にはわかる。
夏貴は怒っているわけではない。
汐に対して大きな声を上げたことに罪悪感を覚えたのか、夏貴は目を逸らしながらいつも通りの口調で話し始める。
「ごめん姉さん、急にこんなこと言って。…僕は心配なんだ。姉さんは昔、からっぽな恋愛を繰り返してきた。…けど、そんなことして最後に傷つくのは姉さんだから」
夏貴の言うことには非常に身に覚えがあった。
恋愛感情のない恋愛…お付き合いの真似事を繰り返し、それが破綻する度に汐は罪悪感に苛まれていたことがある。
もちろん遊びのつもりだったわけではない。
相手の想いに応えたかった。
しかしそう言いながら、結局は自分のためでしかなかった。
大切な人がいなくなった寂しさを誤魔化すためでしかなかった。
分かってはいたが、関係が始まり、そして終わる度に汐は悲しんでいた。
悲しみの種類までは当時の夏貴には分からなかったが、それでも姉のつらそうな姿が記憶に焼き付いて今でも離れない。
もうあんな表情は見たくないのだ。
「ありがとね夏貴」
夏貴は優しいね、と汐は弟に微笑む。そして、とても真摯に言い切った。
「でも、今度はあたしも本気で好きなの」
「…」
何も言わず汐を見つめる夏貴。
「あたし、凛くんが好き」
こんな気持ち初めてなの、と夏貴に語りかけるように言った。
とても、とても美しく幸せそうな笑顔だった。
その笑顔を前にし、言葉を失う。
今浮かべている姉の笑顔は、夏貴が見たことのないものだった。
今まで見てきたどの笑顔よりも穏やかでやわらかく、愛らしい。
同時に、この笑顔を凛に向けているのかと思い、夏貴は目を逸らす。
「そう...」
否定も肯定もせず相槌を打つ。それが今の夏貴の精一杯だった。
生まれて初めて、姉の笑顔が気に食わないと思った。
せり上がってくる、とある感情。名前は知らない。
こみ上がり渦巻くなんと呼べばいいか分からない感情を胸に押し込んで、夏貴は沸騰したお湯にパスタを放り込んだ。