Destination Beside Precious
第14章 11.Boys and Girls
刻々と家を出る時間が迫ってきている。
柔らかな笑顔を神妙なものに変えて夏貴は言った。
「最後?いいよ」
どうして最後なのか分からなかったが、汐は弟の望みを呑む。
すると、ぴんと張った緊張の糸が解れたように夏貴は再び笑みを浮かべた。
「僕のこと、抱きしめてほしいんだ。…昔と同じように」
改まってお願いされるから何かと思ったが、汐は拍子抜けしてしまう。
「いいよ。…おいで」
汐がそう言うと、夏貴は安心したように汐の背に手を回す。
抱きしめてあげているのに、抱きしめられている気分だ。
しかし凛にそうしてもらっている時の胸の高鳴りは無い。
幼い頃にしてあげていたことと同じこと、というのが汐の認識だった。
「姉さん…大好き。ひとりにさせてごめんね。ごめん…」
自分よりも15cm以上背の低い姉を胸に抱きながらうわ言のように謝罪を繰り返す夏貴。
〝ひとりにさせてごめんね〟
あたしは大丈夫、そう言いたかったのに胸が詰まってなにも言えなかった。
どれだけそうしていただろうか、夏貴は離れると汐とよく似た笑みを見せた。
それが少し寂しそうなのは、今日から離れて暮らすからだろうか。
「姉さんありがとう。僕、鮫柄でも頑張るね。…じゃ、いってきます」
「うん。いってらっしゃい」
新品のボストンバッグを掴んで名残惜しげにする夏貴を玄関まで見送ると、汐はひとりになった。
扉の閉まる音がやけに大きく感じた。夏貴の背はもう見えない。
(夏貴…頑張ってね)
夏貴の新たな門出。
きっと夏貴は鮫柄で、人として、アスリートとして更に大きく成長するだろう。
(あたしは、お姉ちゃんだから)
少しくらい寂しくても我慢できる、姉として応援しなければ。
汐はそう心の中で唱えると、リビングに戻った。
夏貴はひとり駅まで向かう。
全寮制の鮫柄学園への進学。それは自分が決めたこと。
県外へ行くよりましだと思った。県内ならいつでも姉の元へ帰ってこれる。
それに、自分の憧れは間違っていなかったのだから。
それでも、汐の元を離れるのは胸が引き裂かれそうな思いだ。
汐を〝ひとり〟にさせてしまう。
露に濡れる桜が頭を垂れて門出を祝福してくれている。
けれど天気は雨。空が、泣いている。
それは、誰の心を映したものなのか。
汐なのか、夏貴なのか。
止みそうにない雨の中、夏貴は足を急がせた。