Destination Beside Precious
第10章 8.Don't Forget Mydear
「…とてもいいお話をありがとうございます」
静かな余韻に包まれた凛と汐は、話をしてくれた若女将に礼を言った。
「とんでもございません。わたくしこそ、ご清聴いただき有難うございます」
若女将はそう微笑んで、冷めてしまった煎茶を注ぎ直した。
若女将が退室してから、煎れなおしてもらった煎茶を飲みながら汐は物思いに耽っていた。
とても、胸の奥がすっきりした気がする。
夢の中で会った海子は間違いなく、汐が知る海子だった。
それでもそれはあくまで〝夢〟であったから、多少の疑念があった。
しかし、若女将の話を聞いてその疑念が確証に変わった。
証拠なんてない。
しかし、この世には人智や科学を超える何かがあると思う。
夢に出てきたのは、上嶋海子その人だ。
(心配かけてごめんね、海子)
夢で見た海子の笑顔を思い出す。
4年前となにも変わりない。
大丈夫、海子はちゃんと自分の心の中で生きている。
凛はひとり部屋にいた。
汐が女将に挨拶してくると言って部屋を出てからまださほど経っていない。
身支度をすべて済ませ荷物もまとめてしまい、することがなくなった凛はぼんやりと部屋を眺めていた。
ふと、違い棚の隅の方に並べられた本に目がいった。
立ち上がりそれを手に取り開いてみた。
それは、植物事典だった。
手に取り開いたページに目を落とす。
そのページに載っていた花は、勿忘草。
海子が汐に渡した花。朝目を覚ましたら花瓶に生けられていた花。
偶然にしては出来すぎていると思いながら凛は説明に目を通す。
すべての文を読み終わった凛は声を失った。
(そうか、そういうことだったんだな…)
夢の中の海子の言葉ひとつひとつが鮮明に蘇る。
海子の、汐に伝えたかった気持ちがそこには載っていた。
〝真実の愛〟、〝私を忘れないで〟
勿忘草の花言葉。これが、海子の伝えたかったことすべてだと凛は悟った。
汐に言うべきだろうか。
凛は考えた。考えた末に否という答えを出した。
海子があえて口にせずに花に託した想い。
きっと、言えない想いだったのだろう。だから言わなかったのだと思う。
言葉にしたら、儚く崩れてしまうとさえ思う。
自分がもし汐の立場なら言って欲しいと願うだろうが、ここは海子の意を汲み取ろう。
もし伝えてしまったら、海子の願いの結晶である勿忘草が枯れてしまう気がした。