Destination Beside Precious
第10章 8.Don't Forget Mydear
用意されていた浴衣に着替えた汐は、布団の上に座っていた。
入浴中に仲居さんが布団を敷きにくると言っていた。その言葉通り布団が敷いてあった。
シングルサイズを2組ではなくクイーンサイズを1組という形で。
しかもご丁寧に枕元に和紙が張られた照明も置かれていた。
浴衣の合わせを詰める。背の部分を引っ張り少しだけ衣紋を抜いた。
じきに凛も風呂から上がってくるだろう。
露天風呂、畳、布団、浴衣、それらの非日常さ加減に汐の鼓動が速くなる。
「なーに正座してんだよ」
汐が俯いているとふいに声をかけられた。
声の方を向くと、浴衣に着替えた凛の姿。
「…っ」
思わず息を呑んでしまう。
凛の浴衣姿は初めて見た。温泉宿の浴衣であることを思わせないくらい似合っていて驚いた。
そんな凛は汐の横を通り過ぎて室内に設置された冷蔵庫へ向かった。
扉を開けてなにかを取り出した凛は汐へ向き直った。
その手には1合サイズの徳利とお猪口があった。
「…お酒?」
「なわけねぇだろ。年齢考えろ。水だ、水」
先ほど冷蔵庫を開けた時に見つけたと凛は言う。
水、と書かれた付箋が貼り付けられた状態で徳利とお猪口が冷やされていたらしい。
仲居さんたちもなかなか粋なことしてくれるな、と凛は言いながら汐の元へ歩み寄る。
「汐、お前さっき風呂でのぼせそうになってただろ。水飲んどけ」
「ありがとう」
こぽこぽとお猪口に水が注がれる音。
水で満たされた小さな器を凛は汐に手渡した。
想像以上に量が少なくて一息で呷ることが出来た。
冷えた水が喉を通る心地よい感覚。
唇から器を離すと、凛は汐の手からそれを取りもう一杯注ぐ。
冷たい水が注がれたお猪口を再び汐に手渡そうとした。
汐はそれを受け取らず、代わりに凛の手を握った。
「ね、凛くん、飲ませて…?」
「…は?」
凛の頬がゆっくりと染まっていく。
戸惑いと期待を半分ずつ宿した赤い瞳が揺れる。
「口移し…」
「汐、お前」
「だって、今日まだ1回もちゅー、してない…」
凛のことだから、旅の目的を慮ってあえてしなかったのだろう。
だが、今回はふたりにとって初めての旅行だ。
宿でくらいは甘い時間を過ごしたいというのが汐の気持ちだった。
「酔っ払ってるのか?」