第5章 【オメガバース】 月島 影山 菅原
はっとして振り返る。これは絶望的な状況だと悟るのもすぐだった。
熱に浮かされて上気する頬と、力なく床に座り込み潔子さんに肩を抱かれている、つまりそれは。
「谷地さん、まさか、ヒートが」
唇から漏れた言葉を、すぐ隣の影山飛雄は聞き逃さなかった。
「おい、それってまずくないか」
「まずいどころじゃない。こんなに人が大勢いるところで……誰か早く抑制剤と密室を用意して!」
αの面々――ノヤ先輩や日向も、αの血が強いようだ――が苦しそうに口元を押さえているのがわかる。Ωはβにも影響を及ぼすようで、他の選手も辛そうである。
潔子さんが1人しっかりとした足取りで谷地さんの口許へ抑制剤を持っていく、固唾を呑んでわたしたちは耐えていた。
もし会場中の情欲にさらされたら、彼女は死ぬよりも辛い経験を味わってしまう。
全員が動きと息を止めて時間が経つのを待っている最中、ふい、とおぼつかない動きで視界の端に何か通り抜けた。
相手校の選手、と思う前に身体が動く。
「ごめんなさい!」
顎を狙う。かかとが頭を揺らす程度にそこをとらえた。少し気を失って貰うしかない。
「ガッ」
音を立てて倒れた選手はきっとβかαだったか。ほっと息を吐くと、不安げで熱に潤んだ谷地さんの目がこちらを見ているのに気づいた。
どうやらわたしは他人よりだいぶ自制心が強いらしい。
今まで呼ばれた事がないのに、ここに来て「緋紗ちゃん」と彼女の声で呼びかけられても、耐えられるのだ。
わたしの隣でぎりぎりと唇を噛んで、なんで、どうして、と問いたそうな影山飛雄のお陰かもしれなかった。
わたしは絶対に手に入らない影山が欲しくて、影山は谷地さんが欲しくて、それなら谷地さんは。
潔子さんが言った言葉で、脆く崩れ去ったのは何だっただろう。
「一人で治療室にいくのは危ないって行ったら、それなら緋紗ちゃんを、って」
当事者になれば 猿にだって分かるこのトライアングルを、三人だけが悲しいほどにわかっていた。