第5章 きっと
その瞬間。
―――ダンッ
廊下へと続く私の逃げ道を塞ぐように、朔夜の手が壁に叩きつけられる。壁に追い詰められた私を見下ろす朔夜の表情が読めなくて、今までにないほどの痛い痛い沈黙が辺りを支配する。朔夜は今まで怒る事も不機嫌になる事も、マイナスな感情を私の前で表す事を絶対にしなかった。それなのに、今は朔夜の全身から、隠しきれない苛立ちが溢れている様だった。
初めて、朔夜をこわいと思った。
ぎゅっと握り込んだ拳が震える。何か言わなきゃいけないのに、何を言ったらいいのかも分からなくて。判決を待つ被告人の様な気持ちで、じっと自分の爪先を見つめる。何の偏屈もない黒いパンプスが今はこの状況に似つかわしくなくてとても滑稽で、涙が出そうだった。
「…男に気を持たせるのが、随分得意な様ですね。」
「っ、」
漸く紡がれた言葉は朔夜の口からだったが、驚くほどに冷たい響きだった。今まで朔夜から私へ向けられる事のなかったその絶対零度の温度差に、目を見開く。言葉を理解するよりも早く、矢継ぎ早に朔夜が続けた。
「あの場でお声をかけない方が、良かったのでしょうか。随分、良い雰囲気の様でしたが。」
「そんなことっ、」
「………オレが、どんな気持ちで、あなたを待っていたか分かりますか。」
「さく、や?」