第1章 ここから始まった
そんなわけで私はあえてこのスーツのまま飲みに出かけることにしている。
金曜日混んでいるに決まってる繁華街とは逆方向にバーがある。
静かな音楽とシンプルな内装。一人で飲むにはピッタリの場所である。
カウンターの一番奥が私の指定席。
「やあ、アズサちゃん。今日はお一人様かい?」
「こんばんは。適当に美味しいの頂戴」
私に声をかけたのは、このバーのオーナー。名前は、知らない。
私より6くらい上らしいが、見た目はそんな変わんないように見える。
アッシュブラウンの髪がバーの薄暗い照明によく似合う。
華奢な身体に透き通るような白い肌、ふんわりとした笑顔。
優男という言葉が似合う。
彼は一人でいると無駄に話しかけてくるが、それが仕事なのだから仕方ない。
まあ、私も彼と話すのは嫌いじゃないからいいんだけど。
「いつも違う男の子連れてくるからお兄ちゃん、心配だよ」
オーナーはそう言ってグラスを差し出してくれた。
この、淡い桃色のかわいらしいカクテルが 適当に美味しいの らしい。
「うるさいなあ、もう。保護者かよ」
一口飲み込んだそのカクテルが口の中に甘さが広がる。
その後に酸味。私には似合わない、そんな味。
「はい。これアズサちゃんにぴったりでしょ。甘酸っぱい初恋みたいで」
くすっと笑うオーナーに私は嫌味を言ってやった。
「セクハラかよ。だから客、こないんじゃねーの」
本当は、知ってる。こういうお店だから一人で来る人が多いお店。
早い時間は勿論、皆でのみに行こうぜーなんていう金曜なんかは客が少ないが
平日や遅い時間になると結構繁盛していること。
「アズサちゃんがお客さんを遠ざけてるからね」
そしてオーナーもそんな時間を避けて私がここに来ている事を知っている。
「まあ、アズサちゃんとゆっくり話すの好きだからいいんだけどね」
そう言って目を細めるオーナーの顔が結構好き。
「うっせぇ。口説く気なら他当たンな」
顔が好きって言ってもそういう意味では好きじゃないし、そんな気もない。
「僕にも選ぶ権利ってのがあるんで遠慮するよ」
まあ、そうだろうな。こんなんだから私はここに通えてるんだから。
オーナーがこちらを少し意味有りげな顔で見下ろす。
「君の興味本位の研究材料になる気もないんでね」
「はは、それはどうも」