第9章 mutate 枢√
「……悪い。行こうか」
「……うん」
今度は互いに手を繋がなかった。
触れているのが怖いのか、それとも……触れようとして拒絶されるのが怖いのか。
「お前も……玖蘭枢がいいのか」
辛うじて聞き取れる声で、そう零が呟いた。その言葉が意味していることが、どうしても私にはわからなくて答えられなかった。けれど零はもう一度同じ質問をすることはなかった。
次第に視界に入った寮に、足を止めた。
「ここまでくればもういいだろ。ゆっくり休め」
「……零! 送ってくれて、ありがとう」
「……おう」
また会えるよね? 学校、来るよね?
言いたいことはあったのに、聞きたいこともまだあったのに……絞り出した声で口にできたのは"ありがとう"の一言くらいだった。
去っていく彼の背中に、再び声をかけることさえ出来なかった。
赤い瞳、それはヴァンパイアの証。彼がヴァンパイアだという話を、一度も理事長から聞いたことはない。ただ……あの血に飢えた瞳は、紛れもないヴァンパイアのもの。
記憶の片隅で私は、その瞳を何処かで見たことがあるような気がした。
自室に戻ってすぐ、急激な眠気に誘われる。家具で頭をぶつけてしまう前に、ベッドへと飛び込んで目を閉じた。朝が来れば全て夢に変わるだろうか? なかったことになるだろうか? なかったことに……したいだろうか?
意識の海の中へと、静かに沈んだ。
優しい木漏れ日の夢を見た。こんなにも穏やかな夢は、初めてかもしれない。