第55章 【烏野高校排球部】三年生の事情
「・・・ひろか先生、鼻血が…」
私はすぐに生徒を中に入れて、ティッシュを差し出した。
「あっ、だめ。上向かない!」
鼻血を出した生徒が上を向くのは良くあること。
私は正しい知識を教える。
鼻血が少し落ち着いた頃、生徒に手を洗わせて、鼻に詰め物をする。
まだ完ぺきに止まってはいないので、椅子に座らせながら来室カードを書かせた。
菅原孝支。3年4組。バレー部副主将。
東峰くんの言っていたスガとはこの子の事だろう。
「ねぇ、ひろか先生!俺もなんか飲みたい!」
彼は本日2回目のドリップコーヒーの匂いを嗅いでそう言う。
「ブラックコーヒーならすぐ出るけど?」
「えぇー、俺ブラック苦手~」
丸椅子に座り、足を広げて、股下の椅子の縁を両手でつかみながら、椅子を前後に動かして、拗ねた顔でこっちを見る。
「仕方ないな~、今日仕入れたとっておきのカフェオレを入れてあげよう!」
「まじ!?ラッキー!言ってみるもんだなぁ~」
保健室は、学校の中でもとても特殊な場所だ。
そして、養護教諭は生徒にとっては特殊な存在だ。
決して甘やかしているわけではない。
特に高校は単位があるので、サボりなんてもってのほか。
心苦しくても追い出さなきゃいけないこともある。
それでも、生徒は私たち養護教諭に他の教師たちに見せない顔を見せることが多い。他の教師とは違う位置づけなのだ。時には親より深い話もする。普段は不良と呼ばれる子も保健室では可愛い高校生に変わる。みんな可愛い生徒だ。
カフェオレを前に、わくわくしながら熱を冷ますように息を吹きかけ、ゆっくりと口に入れた。
「うぁ、うまい!ひろか先生、これうまい!!」
「でしょ?」
彼はコクンコクンと大きく首を縦に振った。
「ねぇ、ひろか先生?」
「なぁに?」
「今からいう事、聞かなかった事にしてくれる?」
「・・・いいよ。カフェオレの口止めが交換条件ね?」
そう返答すると、彼はアハハと笑った。
そのあと、しばらく沈黙が続いた。
私は彼が自ら口を開くのを、コーヒー片手に委員会資料を見ながら待った。
「・・・俺さ、正セッター外れるかも」
さっきまで穏やかだった彼の顔が急に強張った。
私は、席を立って保健室のドアの外に「用のある生徒は職員室へ」のプレートをかけた。