第2章 あの日から
扉をノックする音に返事をすると、イルミさんの訪問だった。
そういえば、今日はイルミさんが仕事を終えて帰ってくる、と朝食の時にキキョウおばさまが話していたような気がする。
一緒にお茶をしましょう、とも言っていたような。
ちらと置き時計を見ると三時半を過ぎていた。
こんな時間になっていたのか、と息をついたと同時に、机のそばに立ったイルミさんの影で、ノートが見づらくなる。
「 ミモザはそんなに勉強が好き?」
身をかがめたイルミさんの髪が、さらさらと目の前で揺れる。
帰ってきて間もないのだろう。まだ仕事着を身につけている。
「好きってわけじゃないですけど、手を抜かないようにはしてます。母がよく、何か資格を身につけなさいと言っていたので。 一人でも生きていけるようにって。」
「ふうん。でも、さ、せっかく俺が帰ってるのに、机にかじりついてるってのは、どうなの?」
「え?」
出迎えなかったことに腹を立てているのだろうか。
じっと見つめてもいつもと同じ美しい無表情からは何も読み取れない。
「えーと、数学の、大きい問題解いてたから、手が離せなかったんです。 向こうでお茶にしましょうか?」
「お茶、ねえ・・・」
どことなく不満げなイルミさんを前にして、私は笑顔で固まる。
嫌ならどうしたいのか言ってくれ。
と、心の内で叫んだのはばれていないと思うけど、イルミさんは髪をかきあげて
「嫌じゃないよ。ただ、茶室に行くともれなく母さんもついてくるからね。俺はミモザと2人きりでいちゃいちゃしたいんだ」
と言い、私の手をとった。
「いちゃ・・・?何を言うの、イルミさん・・・」
「俺は、君のことが好きだと言ってるんだよ、ミモザ」
思ってもみなかった言葉に、私は絶句した。