第10章 急転直下(銀八side)
資料室から教室に戻るまでの俺は、目の前で起こったことが信じられなさ過ぎて、茫然としていたのだと思う。
よく途中で模造紙をなくさなかったものだ。
「おい、銀八……、お前、大丈夫か」
呼び止められて声のする方に目をやると、全蔵が展示のために忙しく立ち働いているところだった。
「なんでそんな青い顔してるんだ。体調悪いのか」
そうか、俺、今、青い顔してるんだ。
先生を自分のものにできるという契約が完了したことよりも、先生の心に住んでいる男が誰だかわかってしまったことの衝撃。
知らない男だったらまだずっとマシだっただろうに。
よりによって、俺が嫌いなあの男だったなんて。
そもそも俺があの教師を嫌いなのも、第六感が働いたということなんだろうか。
「模造紙持ったまま、倒れそうだぞ」
「はは。大丈夫だ。ちょっと寝不足でさ」
「またバイト行ったのか」
「まあそんなとこだ」
「お前、バイトはほどほどにしろよ。……姫川先生が心配してたぞ」
「……」
今ここでその名前を出された動揺は、うまく隠せたと思う。
「1学期の終わり頃だったけど、お前がバイトどのくらいやってるのか、聞かれたことがある。お前も姫川先生の舎弟なら、あんまり心配かけるなよ」
「だから、俺は舎弟なんてモンじゃねえよ。尻尾振って寄ってく犬っころみたいなもんだって」
「でも、先生がお前のことを気にかけていたのは本当だ」
「……」
もちろん全蔵がこういうときに嘘をつくような奴じゃないということはよく知ってる。
そして先生が、教師として生徒の心配をしていたのだということも。
だけど、俺は先生の心配に値するような人間じゃない。
「犬っころだって、飼ってる人間には忠誠を誓うものだ。心配させるようなことはするもんじゃない」
俺は犬っころ以下か。
まあ、そうだよな。
こんな風に先生の弱みを握って、ほとんど脅迫に近いやり方で思い通りにしようとしているんだから。
先生が俺のことを少しでも気にかけてくれていたとしたら、可愛がってる犬っころが牙を剥いたようなものだと思ってくれているだろうか。
だけど、犬っころなんて、我ながらそんなかわいいモンじゃねえな。
いつでも鎖を引きちぎるケダモノだ。