第9章 風は秋色(銀八side)
そこから夏休みいっぱい、俺は、愛里先生に特別に出された「宿題」に答えるべく、『こころ』を読み返していた。
俺はもともと負けず嫌いだし、しかも愛里先生に出された特別な宿題に答えられないうちに、二学期の授業が始まってしまうのは癪だった。
だけど、何度読み返しても、青年のプライベートに関しては、実家の両親や兄のことしか書いてない。
ついに、3回青年が東京行きの汽車に乗ったあと(中章の最後の場面がそうなっているのだ)、俺はあきらめて文庫本を置いた。
ちぇー。
先生にいちご牛乳を口移しで飲ませたいのに。
あれ、何か主旨が変わってきてる気がするな。
ま、いいか。
バイト先の控え室にまで『こころ』を持ち込んで休憩していた俺がソファでのびを一つしたとき、ドアが開いて、先輩ホストが一人入って来た。
携帯電話で話をしながらだ。
「うん、今日はパパ遅くなるから。ミクちゃんもいい子でママの言うこと聞かないとだめだよー」
電話の相手は幼い娘らしい。
客にはもちろん内緒だが、妻子持ちのホストもたまにいるのだ。
ホストなら誰でも、ビジネスモードに入っているときの声と、普段の声のトーンは違う。だが、この先輩の場合、娘に対しての声は、また別のモードであるようだ。
電話を切ったあと、ソファに座っている俺に気づき、先輩ホストは恥ずかしそうな顔をした。
「ギン、いたのか」
「すみません」
「あやまるこたないだろ」
「……でも、ゴウさんのそんな声聞いたの初めてだったんで驚きました」
「ハハハ、そうだよな。何かな、娘って特別なんだよ」
「はあ」
「まあ、俺もギンぐらいの時には全然ピンときてなかったよ。というより、子供が生まれてからやっとわかったくらいだ。子供が生まれる前の俺は、ガキなんてギャーギャーうるさいだけのモンだと思ってたしな」
あれ。
何か、このセリフ、どっかで聞いたことある。
「……」
「ギン、お前もそのうち子供ができればわかるよ。お前、すごい過保護になりそうだよな」
「え?そうですか?」
両親のいない俺に、過保護なんてものがピンとくるはずもなかった。
「すげぇ厳しい門限とか作りそう」
「まさか」
「自分がヤンチャしてた奴に限って、子供に厳しくなったりしてな」
「……はあ」
全くピンとこなかったが、ゴウさんがニコニコしながら控え室を後にしたので、まあいいか、という気になった。