第7章 夏の終わりのエトセトラ(銀八side)
愛里先生が続ける。
「ねえ、今、『こころ』持ってる?」
「はい」
俺はカバンの中から文庫本を取り出す。
「坂田くんの説、もっと補強できるわよ。遺書の最後を見て。最終的に『先生』に自殺を決断させたのは何?」
「え……、確か、殉死事件ですよね……えーっと」
「そう。そうだけど、最後から二番目の章の、『先生』と妻の『静』の会話を読み上げてみて」
「えっと、『夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯(からか)いました。』……」
そこまで読んで、俺の背筋を冷や汗が流れた。
これって……。
「わかった?」
「……『殉死』って最初に言ったの、『静』なんですね」
「そ。自殺を直接決断させたきっかけは乃木大将の殉死なんだけど、『殉死』っていうキーワードを最初に『先生』に与えたのは、妻の『静』なのよ」
「怖ェ!!」
俺はその場面から目をそらすことなく叫んだ。
「マジ怖ェ!!ほんとにこの『静』がKも先生も殺しちゃった……」
「そう。そう解釈することができるの。しかも当人の『静』が、なーんにも知らないうちにね」
「これ、『静』が、わかってて殺したって可能性はないんですか?」
「ん?そういう解釈をする研究者もいるよ。でも、少なくとも小説の中では『静』は『K』の自殺の理由を知らないと言っているから、『K』が自分を好きだったことを知らないと解釈するのが通説かな」
「すごいすごいすごいすごい!」
俺は興奮して言った。
「先生、やっぱり小説っておもしろいですね。先生が一学期の最初の授業でとりあげてくれた『千羽鶴』も人間関係が衝撃的でしたけど、こっちもすごく衝撃あります。表面的なストーリーを追うことしかしてこなかったから、こんなおもしろい読み方なんて全然知らなかった」
俺の言葉に、先生は華やかな笑顔を見せてくれた。美しい花びらが目の前で開いていくかのような、こちらまでその香りが降りかかるような笑顔だった。
「そう?坂田くんにそんな風に言ってもらえて嬉しい」