第7章 境界
「そういえば、私がまだ貴女の執事だった頃も、こうして魘された貴女の元へ出向きお水をお持ちしましたね」
「そんなこと、覚えているものなのね……」
「忘れてしまえたら、よかったかもしれませんね」
――忘れてしまえたら……。
じろりとセバスチャンを見れば、彼はただ微笑むだけ。そう、昔からそうだった。微笑むだけで何も言わない。
「私、セバスチャンとはどういう契約をしたのだったかしら」
「そんなことが今更気になるのですか?」
「ただの暇潰しよ」
部屋は薄暗い。私の執事でもない彼は、蝋燭をつけたりはしない。カーテンの隙間から洩れる月の光が、淡く照らすだけ。それでもいい、それでもはっきりと彼の姿を瞳に映すことは出来るから。
「坊ちゃんよりかは、とても愚かな願いでしたよ」
「子供が願うことなんて、なんだって愚かじゃないの」
「そうですね……けれど、三本の指に入る程に滑稽な願いでした」
「……もったいぶらないで言えば?」
イライラする。本当に、伯爵の執事である彼は以前知る彼よりも、格段と私をイラつかせる天才だ。
「忘れました、そんな過去の事」
「……、……それもそうね」
わかっているの、この男を今占めているのはただ一人の人間。シエル・ファントムハイヴだけ。私は彼が必要のなくなった玩具、魂。食われることさえしなかった、粗末な魂。