第44章 狭くて、 丸くて、 ただひとつ(灰羽リエーフ)
「逆さまですよ、 それ」
深く考えるより前に、 リエーフは声をかけていた。
興味を惹かれると見知らぬ人にまで話しかけてしまうのは小さい頃から続く悪癖だった。 失礼だろ、 と前に先輩に咎められたことを思い出し、 慌てて自分なりに失礼のないよう言葉を付け足す。
「それ、 その雑誌。 サングラスのお姉さん」
スレンダーな脚を組んで椅子に座っていた、 その女性の反応は早かった。 顔を隠すように持っていた雑誌からおもてを上げたが、 大きなサングラスをかけているせいで目元はわからない。 突然天から降ってきたリエーフの声に驚いた様子で、 彼女が一瞬周りを見渡すように顔を動かすと、 耳の小さなピアスが日光に反射して瞬いた。
8月も最終週に迫った平日。 薄い潮風の香りが届く白い昼間の駅のホームには、 彼女と、 その正面に立つリエーフ以外には誰の足音も聞こえない。 ただひとつ、 二人の頭上で響くアナウンスが、 沿線上で起こった人身事故による上下線の運転見合わせを先刻から告げていた。
「お姉さんって、 もしかして私のこと?」底抜けに明るい声で彼女が訊ねる。
「そう。 雑誌が上下逆さま」
リエーフは指を向けて教えてあげた。
他校での練習試合の帰り道、 初めて聞く名前の乗り換え駅で、 やって来ない電車を待つのに飽きたところで、 思わず足を止めて話しかけてしまったのは逆さまになった表紙の富士山の写真が原因だった。 青い湖が上で、 青い空が下。 一面シアンの、 しかも水面に姿を映した逆さ富士だった。 真ん中に線を引いたように綺麗な上下対称。
よくパッと見て、 違和感の正体に気付けたもんだと、 得意げにも感じて、 ふふんと鼻を鳴らしてしまう。