第40章 世界はすでに作られていて、すでに無くなっている(影山飛雄)
視線が手元に落ちる。ひらがなで書かれた文字。知らない男の子の名前。持ち主のこの子が、落ち込んでいる、かもしれない。
話したことも、見たことも、この世界に本当にいるとたしかな証拠なんて、ないのに。
「わかった」顔を上げて言った。「私、届ける」
影山が、ほっとしたような顔をした。頼んだ、と言い終わらないうちに、彼は背を向けて走り出していた。
「あ、朝練……」頑張って、と声をかけたかった。
けれど、もう頑張ってる相手に、何と言えばいいのかわからず、私は口を閉じた。
手の中の、男の子の名前。
影山の、学生服とスポーツバッグ。
今朝のニュースのテロップが、頭の中によみがえる。
――― ナイジェリアで自爆テロ。13人の女児が死亡。
昨日まで息をしていた、誰かがきっと死んだのだ。
母親も、父親もいただろう。故郷があって、家があった。恋心も、夢も、爆撃で消えた。
朝ごはんは美味しかっただろうか。どんな味だっただろうか。お母さんは、どんな顔で今朝の私を見つめていたんだろうか。
思い出したかった。けれど、思い出せなかった。頭の中の声が止まりそうになる。
振り払うように、私は大きく息を吸った。
「影山!」
声を張り上げた。 立ち止まって振り返る黒い影に向かって、私は青空に帽子を掲げた。
笑ったつもりだったけれど、なぜか泣きそうになっていた。
「まかせて!」
声を、風に乗せる。届いただろうか。影山が右手を上げた。表情は遠すぎて分からない。
ただ、ニッと悪人みたいな顔で笑い返してくれたような気がした。
―――
おしまい