第38章 honey honey, doggy honey(瀬見英太)
遠ざかっていく柴犬を見送りながら、「かく言う俺も、小さい頃から犬を飼ってて」と希望を込めてちらつかせたら、「本当ですか?私もなんです」となまえが自転車のロックを外しながら顔を綻ばせた。
よっしゃ!共通点きた!
狙った場所で隠し財宝を見つけたみたいな、飛び付きたくなる気持ちを抑えて、へぇー、という相槌に凝縮させる。
「俺んちはな、パピヨンの女の子。すげぇ〜〜〜〜可愛くて」
大げさではなく、本当に我が家の子が世界で一番だと信じてやまない。「甘えん坊でさ、俺が胡座掻いてるとすぐ足の間に入って来ようとすんだよ」と見えない愛犬を抱きかかえるような仕草をしてみせる。小さくて、ふわふわで、可愛くて。いないのにその空間に頬をスリスリしたくなってくる。前に天童から『英太くんは、なまえちゃんよりペットのほうに首ったけって感じだよね』と言われたことまで思い出す。
「そうだ。デートはドッグランにしようぜ。散歩でもいいし。なまえんとこの犬種は何?」
「ボルゾイです」
「ボル、え?」
「ボルゾイ。ずうっと昔はロシアンウルフハウンドと呼ばれていました」
頭の中で、画像検索をかける。メジャーではないが、ぼんやりと”超デカい犬”というイメージだけが検出された。
それに応えるように、そうですね、だいたい高さが、となまえは片手を腰のあたりに掲げた。「ここら辺にお顔が」
「で、デカイな」
「後ろ足で立つともっと大きいですよ。私の身長くらいかも」
それ、うちの子と並んで平気なのかよ。
言葉を失っている俺を見て、なまえが声を忍ばせて笑う。柔らかい雰囲気が新鮮だった。やっぱり、やっぱりすげえ可愛い、と。
「大丈夫ですよ、うちの子はもうおじいちゃんで、とても優しいですから」
恋人になるにはまだ早くて、越えるべき壁は多いのかもしれないけれど、
「先輩のワンちゃんを、蹴り飛ばすようなことは無いと思います」
この子といれば、どんな世界も幸せに包まれる。
そんな風に思えてしまう。
「多分ですけどね」
***
おしまい