第34章 ノー・コンテスト!(二口堅治)
女の子には、気持ちを切り替えるためのスイッチがある。
メイクをした時、制服のブレザーに袖を通す時、新しい下着をつけた時。
何がトリガーになるのかは、人それぞれ。でも、きっと誰もが持っているはず。
凛と気持ちが引き締まって、背筋をピンと伸ばしたくなる瞬間ってやつ。
私の場合?
私の切り替えスイッチは、髪の毛をポニーテールに結んだ時だ。
まだ薄暗い朝、洗面台の鏡の前。頭の後ろでキュッと髪の毛を止めるとONになる。パチンってね。
「おはよう、なまえ!」
階段を掛け下りてきた部活仲間が、すれ違い様に肩を叩いていった。おはよ!と遅れて振り返ると、偶然後ろにいた別の友人と目が合った。
隣クラスのその子は「わっ、なまえか!」と少し大げさに声を上げると、「気付かなかった、3年生かと思ったよ」とアヒルの子みたいに私の後ろに回り込んで、得意の上目使いでこちらを見上げた。
「なまえが髪結んでんの初めて見たかも」
「そうかな?」
「そうそう!」
階段を上る度、1つにまとめた束が左右に揺れるのが自分でもわかる。
「部活ではたまに結ぶんだけど」
「へー、さすが、似合うねぇ!」
グレープフルーツ、カナリア、ぽんと咲いたマリーゴールドの花。ぱっと明るいイメージが似合う彼女は、力強く親指を立てて笑った。
いわゆる、勝負の日ってものがある。大会、受験、体育祭。
負けられない戦い、ってやつ。
そういう勝負に挑むとき、私はいつも髪の毛をポニーテールに結ぶんだ。
頭皮が上に持ち上げられると、気分も上向きになるからね。なんだか勇気が湧いてくる。
だから、今日はポニーテール。自分に気合いを入れてきた。
今日こそ、絶対、絶対、言うって決めた。
勝負はホームルーム5分前、朝練終わりの彼はいつも同じ時間に教室に姿を現す。だいたい、気の抜けた中途半端な挨拶と一緒に。
「はよース」
ーーー来た!
カーン、とゴングの音の代わりに、「うーす」「はよ」と教室の男子たちが返す声が聞こえてくる。いつもと変わらないやり取り。聞き耳を立てながら、私は自然を装って教科書を整えていた。
逃げるなよ、と髪の毛が首をくすぐってくる。
ーーー挨拶。そう、挨拶。まずはいつも通りのおはようから。