第33章 屋上の烏、恋は曲者(月島蛍)
冬の朝は嫌いではない。殺風景な田舎道、のんびり学校へ向かうのも嫌ではない。薄い霜の下で春を待つ田んぼと畑に囲まれた緩い坂はどこまでもどこまでも遠く見渡せて、各々のペースで道行く赤の他人の背中を眺めては白い息を吐く、こんな時間もたまには悪くないなと思う。
ヘッドホンから流れる音楽は昨夜兄から薦められた女性アーティストの楽曲で、さほど興味はないから名前は覚えていないけど、2月の空気みたいに澄みわたる歌声は散らかった頭の中をまっさらにしてくれている、悪くない。
「月島ぁ!てめぇこのやろ!!」
ストップ。何か雑音が入った気がする。
迷わず音楽のボリュームを上げようとポケットへと手を伸ばす。突然ガッと手首が掴まれた。ガッ!と。それなりの握力で。
なんだろう、なまえだったら面倒だな、と後ろを見ると、案の定なまえが僕の手を引き止めるように両手でしっかり掴まえていた。大きめのマスクをつけてこちらを睨む目。視線が噛み合う。この人痴漢です!と言い出されてもおかしくない気迫があった。多少の心構えはしていたけれど、うわぁ、とつい声に出た。
「つーきーしーまぁ!」
マスクに指をひっかけてなまえが叫ぶ、怒りマークが5連続並びそうな声。でも地声のトーンが高いからギャグにしか聞こえない。撫で気味の肩は大きく上下を繰り返していて、ひょっとしてコイツ、大分遠くから追いかけてきたのかよ、と僕は思う。想像には難くない。僕が気付かないでずんずん歩くから大声で名前を呼んで走って来たんだろう。恥ずかしいからやめてほしかった。
僕はヘッドホンを外し、自分のもっている一番の笑顔を出した。「やぁ、なまえ。何か用?」
「バカにしてんでしょ月島、何なのあれ」
「あれって?」
「昨日の!」
「昨日?」
「昨日の画像!」
やっぱりそのことか、と思ったけれど、わざと「あぁ、昨日の」と今思い出したような反応をとった。
「そう!私に画像送ったでしょ!」
「送った」
「送ったよね!?」
「送ったよ」
昨夜、なまえから相当かなり煩いメッセージが届いていたので、黙らせるために一発返信してから部屋の電気を消して眠りについた。