第32章 まだ間に合うからジュリエット(牛島若利)
「ねぇ、 私の話ちゃんと聞いてるの!?」
玄関先でシューズを履く牛島若利の背中に向かって言葉を放つ。
「聞いている」と低い声で返事があった。
「俺は最初に言ったはずだが。 ”行けばいい”と」
牛島は立ち上がり、 振り返ってこちらを向いた。 先日一緒に選んだ黒の運動着姿だ。 よく似合ってる。 釣り目ぎみの顔つきは精悍だけど、 表情に特別な感情は浮かんでいない。 いわば真顔。 デフォルト。
「当然のように言ってるけどさ、 」
うんざりして、 先ほどもした説明を繰り返した。 「私、 スノボに行って温泉に入ってくるんだよ、 分かってる?」
「ああ」
「あのケダモノたちと!」
「及川と岩泉と花巻と松川とだろう?」
日課のロードワークへ行くのを引き止められているというのに、 牛島は平然としていた。 「行けばいい」
「気にならないの?」
「何がだ」
あのね、 と小さな子どもに言い聞かせるように、1語1語を区切る。 「私が、 あの4人と、 泊まりで蔵王へ旅行に行くの。 他の女子はゼロ」
「青城の女子マネージャーはお前だけだったからな」
「それは事実だけど……」
樹氷見にいこうぜ!とゴキゲンで言い放った花巻の顔を思い出す。 あれは確かに、 青城バレー部の同窓会的な飲み会の場でのことだった。 参加資格を持つ女子は後にも先にも私ひとりだけ。
花巻の提案は、お酒のテンションもあって即決だった。「男4に女1人かぁー、大丈夫かよなまえ」と笑う声に、 「ダイジョーブ、 あの牛島若利がヤキモチ焼いて『心配だ。 行くな』って言うはずない」と返したのは誰だっただろうか。 ひょっとしたら私だったかもしれない。
「行きたくないのか、 行きたいのか、 どっちなんだ」
尋ねる牛島は、 すでにドアノブに手をかけていた。
「行きたいよ、 そりゃ」と本音を答える。 だって、及川と岩泉と花巻と松川と泊まりで蔵王で温泉でスノボで樹氷の旅行だ。 私だけ仲間外れは嫌だ。 止められてでも行くもん。
そうか、 と牛島はドアノブを捻った。 「行きたいなら、 行けばいい」 そう言って、 外へと出て行った。
無情に閉じたドアに対して、 「でもせめて1回は止めて欲しいの!」と怒ったけれど、 おそらく牛島には届いていない。