第31章 君の恋路に立たされている(松川一静)
つまり?と恐る恐る口に出す。 「私は外野ではない?」
「ないな」
松川はきっぱりと答えた。 「ラインズマンでもない」
「内野?」
「センター?」
「むしろバッターボックス入っちゃってる感じ?」
「あー、 これは入ってますねぇ」
「入ってるよね!?これ絶対入ってるよね!?」
「おっと、 これ以上は後日にしようぜ」
松川が大きな両手のひらをこちらに向けた。 「自主練行かねば」
待ってよ、 と私は慌ててその袖に縋った。 「それはズルい。 その後日は怖い」
「みょうじ、 お前顔が真っ青だぞ」
「生きた心地がしない」
だってまさかこの松川が、 である。 よりによって私を、 である。 なまえ大混乱である。
嬉しいとかびっくりとかより何よりも恐縮の気持ちが勝った。 深海の底で微小なプランクトンを食べて生きるような日々を送っていたら、 突然網で掬われ白日の下に晒されたような気分に近い。 怒りや恥ずかしさを遥かに通り越して、 申し訳ない。 ひたすらに無抵抗で申し訳ない。
松川を見上げ、 限りなく素直な気持ちを述べた。 「ドッキリだよね?」
「信じないなら、 それでもいい」
彼は憮然とした表情で 「けどホントに好きだし」とぼそりと呟いた。 「でも、 返事は欲しい」
「い、 今?」
「落ち着いたらでいいや、 ただ早い方が助かるな。 気まずいなら、 俺の下駄箱にでも入れといて。 交換した方……あ、 届かねーなら無理すんなよ」
「届くし!」
反射的に怒ってしまった。 おぉ、 と松川は嬉しそうに口角を上げた。 「じゃ、 待ってる」と。
「みょうじからのは、 ちゃんと読むから」
差出人の名前を書かなかったら適当に扱うくせに、 と返そうとしたものの、 今や彼の下駄箱の場所を正確に知っているのは私だけという事実に気づく。 頭を抱えた。
こうして、 私はもう数日間だけ、 昇降口に関して頭を痛くする羽目に陥った。
そして葉桜のちらつき始めた朝に、 律儀にしたためた返事を彼の下駄箱に背伸びをして放り込むという偉業を見事に成し遂げた。 一部始終を後ろからバッチリ本人に見られるという失態まで披露したのだけれど、 結果、 幸福で赤面な日々がその後に付随して訪れるのだ。 そのお話は、 またいずれ。
***
おしまい