第31章 君の恋路に立たされている(松川一静)
それでも、 今朝の昇降口みたいな交流を重ねた最近になると、 さすがに思う。
松川も、 私と同い年のただの人間であるのだなぁと(当たり前だけど)
変に警戒する必要はないのかもしれない。 よく見れば愛嬌のある顔をしているし、 クールなようでいて、 意外に人懐っこい一面もある。 恩着せがましいところも無い。 人間関係で揉めた話も聞かないので、 きっと悪い性格ではないのだろう。 なんてったって、 ラブレターを貰うくらいだ。 何の変哲も無い、 だたの人間だ。 私と同じで、 きっと鈍器で殴れば死ぬだろう。 特別な生物ではないのだ。 多分。
今日の休み時間だって、 ほら、 春の陽光が差し込む窓際の席で、 ぽかぽか日光浴しているところを見ると、 どうしてもマイペースなネコ科の動物が連想される。
普段は無言の凄味があるのに、 リラックスしている時のあの緩みきった空気と表情はなんなんだろう。 大きなあくびなんかして、 あぁ、 やっぱり虎っぽい、 と、 私は遠くから密かにほくそ笑むなどして1日を過ごした。
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その日の放課後、 帰りがけに掃除当番であることを思い出した。
思い出してすぐ、 忘れたまま家に帰ればよかった、 と後悔した。 同じサボりでも、 意図的にサボるのでは質が悪い。 更に言うと、 そんな勇気も持ち合わせていない。
しかしどうにもやる気が出ず、 しばらくモップの柄に寄りかかって、 廊下に立つだけしていた。 目を閉じて、 遠いグラウンドから聞こえる野球部のかけ声や、 通り過ぎていく女子の会話に耳を傾ける。
空気が軽く、 気持ちが良い日だった。
春が来てくれて、 嬉しい。
春は甘い季節だと思う。 そして全てが柔らかい。
バターで焼いたアスパラガスの美味しい季節だ。 食べたい。 ほくほくに茹でたそらまめ、 山菜の天ぷら…………そう言えば、 うちによく来る近所の野良猫が妊娠してたってお母さん昨日言ってたな。 あぁ、 いいなぁ。 今日は新しい髪留めを買って帰ろう。
ぼんやりしていたところ、 「みょうじ。 」と名前を呼ばれる。
振り返ると、 岩泉がいた。
反射的に姿勢を正す。
苦し紛れに、 「おぉ……珍しいね」と、 右手を挙げてはにかんだ。