第31章 君の恋路に立たされている(松川一静)
「じゃあさ、 交換して」
ぽつりと話しかけられたので、 え?と私は顔を上げた。 実際、 「え?」と声に出して聞き返していた。
交換、 とは。
何か手持ちの物と、 封筒を交換しろという意味だろうか。
「俺、 上の方が楽でさ」
松川はそう言って、 靴棚を指差した。 あぁ、 と私も納得する。 交換というのは、 下駄箱の場所を取り替えてくれという意味だった。
確かに、 と私は思う。 自分の出席番号が振られた憎き扉は、 彼にとっては障害にもならない高さだ。
一方で、 足の長い男子が一番下の下駄箱をいちいち覗くのも、 煩わしいところがあるのだろう。 改めて、 相手のベルトの位置に気がつく。 私の胸と同じくらいの高さに松川の腰があることに、 単純に驚いた。
「ダメかなぁ」
松川が小首を傾げる。 のんびりとした動作だったが、 ダメじゃないよね?と念を押すかのような口調だった。
断る理由は、 特に無い。
が、 なぜだろう。 礼儀正しいヤクザに恐喝されているような気分でもある。
とは言え交換してしまえば、 私のささやかな悩みも綺麗に晴れることは間違いない。
適材適所、 という言葉が頭に浮かんだ。 背の小さい私には、 低い位置に下駄箱を、 だ。
「わかった」と頷く。 「いいよ」
が、 当然気がつく。 「いや、 待って」
「なんで?」
既に松川は下駄箱の中身をそっくり外に出そうとしていた。 私は慌てた。
「交換したら、 松川宛のラブレター、 全部私に届いちゃうんだけど」
「届いちゃうんだけどぉ、 」
松川は、 間延びした裏声で繰り返して(きっと私の真似なんだろう)しかし、 作業を中断するつもりはないようだった。 私の頭上で淡々と進められた靴の引越しを終えると、 いつもの調子に戻り、 「そん時は、 みょうじが貰ってもいいよ」とこちらを向いた。
「えぇ、 いらないよ」
「遠慮なさらず」
「じゃあ、 バレンタインデーのお菓子が間違って届いても、 ぽっぽナイナイしちゃおっかな」
「お、 いいね」
「だめだよ、 恨まれちゃう」
私が、 と言うと、 松川は噴き出した。
どこがツボだったのか、 彼は大きな口を開けて豪快に笑った。 そして、 「楽しみだな」と呑気に吐き捨てた。