第27章 月が(猿杙大和)※
酷い気分だった。
あなたはベッドから起き上がり、頭を掻きむしる。
月が地球に衝突すると発表されてから、4ヶ月程が経過した朝だった。
「おはよ」
寝室のドアが開いて、Tシャツ姿の猿杙が顔を覗かせた。緩みきった笑みを浮かべて「気分はどう?」と尋ねた後、黙って首を振るあなたを横目に、カーテンを開けて去っていく。いつものように、お湯を沸かしに行ったのだ。あなたの胃腸は、寝起きの冷たい水が苦手だ。
ベッドの端に腰掛けるように座り直すあなたの足は、不健康的に、細く、白い。顔を上げると、窓の向こうの彩度の低い青空に、もっと青白い、異様に大きな月を見ることができる。空の半分を覆わんばかりの大きさだ。昼間の今でも、クレーターの形まではっきりと確認することができる。
月は、あなたが眠りから覚める度、日々大きくなっている。つまり、順調に地球に近づいていた。
世界中の有識者たちが何を議論し検討したのか、あなたは知らない。あなたはあの日以来、テレビを観ることをしなくなった。スマホもずっと、充電切れのまま放ってある。
月をミサイルで破壊する計画も、何らかの衝撃で軌道をずらす計画も耳にしたが、果たしてどうなったのだろうか。
なるようにしかならない、とあなたは思っている。達観している、というよりも、諦めている、というよりも、考えるのをやめた、という表現が一番近いかもしれない。
何よりもあなたは、月の落下より、今の体調不良をどうにかすることの方が重要だと思っている。
お待たせ、とマグカップを持った猿杙がベッドにやってくる。ありがとう、とあなたはそれを受け取って一口すする。中身はただのお湯だ。ただのお湯が、あなたの一番好きな飲み物だ。
あなたが身体に異変を感じたのは、本当に、ごく最近のことだった。
月の接近によって、地球の重力もおかしくなったのかもしれない。あなたの中の内臓たちは、前とは違う負荷に抵抗するかのような変な動きをしはじめた。あなたは、それに参ってしまっている。
「なまえ、爪が伸びたね」
隣に腰掛けた猿杙が、あなたの手をとってキスをする。地球滅亡というシナリオを、あなた自身は受け入れようとしているが、それでもあなたの爪は、あなたの身体は、細胞は、息をして、活動を日々続けている。