第26章 月が(赤葦京治)
電車が発車した途端、赤葦は急に静かになった。元から口数の多いタイプでは無いが、心ここにあらずと言った感じに、ドアによりかかるように立っている。帰宅ラッシュの時間帯。つり革に掴まれたらラッキーといった感じの混み具合。『どうして、ここまでして、わたしを部屋に?』質問したいが、やっと会話ができる状況になったというのに、窓の外をぼうっと見ている彼の邪魔をしてはいけないのではと、側で棒立ちになることしかできなかった。
電車はすでに3駅を通過していた。沈黙を守るついでに、本当に赤葦の家に行くんだろうか、と考える。先ほどの話ではご両親は不在らしい。ということは、2人きりだろうか。ヤバくないだろうか。わたしとこの子で、2人きりで夜を明かす?
悶々と、あれやこれやが浮かんで消える。
朝帰りなんてしたら、わたしは親になんと言われるだろう。
不良?ふしだらな子? レールの境目で揺られながら、家にいるであろう快活な母の顔を思い出す。わたしの部屋のコルクボードに飾ってある、大会の集合写真を眺めては『婿にするならこの子ね』と、毎回違う男子を指差す、わたしの母である。
彼女なら、浮いた話の一つない娘が外した羽目に、かえって喜ぶかもしれない。しかし、花のような笑顔の母親の後ろに、鬼の形相をした父の顔が浮かび、パチンと夢が弾けて消える。
ダメだ、帰ろう。
せめて、終電までには。最悪、帰宅が遅くなる理由を連絡しなくては。何でもいい。親と喧嘩した友達をファミレスで宥めていたら、こんな時間になってしまったとかでもいい。何か連絡しなければ、事故に遭ったのではと心配される。そして余計怒られる。
スマホだ。と結論付けた。赤葦の部屋へ行く/行かないは二の次にして、まずはスマホを取り返そう、と。改札前で見た、黄色いカバーのわたしのスマホ。赤葦のコートのポケットにいた、あの子をまずは奪還しよう。