第26章 月が(赤葦京治)
「なまえさん、」
そして、まるで事務的に聞こえるお願いを口にした。「俺の部屋に、来てくれませんか。これから」
「これから!?」
面喰らって、改札の向こうの、発車時刻を示す電光掲示板を見る。もう夜の20時近い。そしてわたしは高校生だ。明日も学校があるし、今からなんて、晩ご飯は?家族に何と言えば良い?
返事をできず、へどもどしていると「ダメですか?」と顔を覗き込まれる。その力の込もった目元を見て、わたしの本心は揺らいだけれど、首は縦に振られていた。
「ごめん、これからは無理……」
「お願いします」
「いや無理だって」
「大丈夫です。俺の家、父親は単身赴任で母親は今日夜勤なんで」
「何一つ大丈夫じゃない」
こうなると頑固な赤葦を無理やり引き剥がして、泣きそうになりながら改札へと足を動かす。
「なまえさん」
「つ、ついて来ないで」
「あの、」
「そんな、いきなり言われても困る」
後を追ってくる赤葦は、コンビニ前で出会う野良猫のようで、どうにも振り切ることができない。もしかしたらこれは、とんでもないチャンスなのではないか、と期待が腹部から膨らんでくるも、なけなしのプライドが邪魔をする。当然だろう。『来てください』と言われて『行きます』と食いつくなんて、下心が見え見えですごく間抜けじゃないか。女の子はそういうのは望んでないんだ。
「とにかく、今日は無理だよ。また今度、日を改めてーーー」
さすがに改札の中までは入って来ないだろうと通学鞄の中に手を入れる。さっさと電車に乗ってしまって、今日のところは諦めてもらって、後で謝罪のメッセージでも電波に乗せて送っておこう。だけど改札の直前にきても、指先に求める感触がなく足が止まる。定期入れがない。
「あ、あれ?」
定期入れは失くしやすいから、いつも鞄の前ポケットに入れると決めている。なのに、どうしてかそこは空っぽだった。制服のポケットの中かと両手を突っ込むが、そこも空。