第24章 空気と一緒に動くの(木兎光太郎)
木兎くんが頷いた。「はい、完成」と私が言った直後、扉からひょいと女の子が顔を覗かせた。
「エース、発見」
白福雪絵ちゃんだ。バレー部のマネージャー。「今日はだいぶ遠くまで逃げたのねぇ」
「逃げたんじゃなくてさァ」と木兎くんは大きく口を開けて反論した。「これはきゅ、」
「休憩ね、ハイハイ」
雪絵ちゃんは慣れた様子で、おっとりと手を縦に振る。「あんたがいなくて大変だったんだから」
「そっか。じゃー戻るわ!」
「あら?」
机から飛び跳ねるように立ち上がり、腕を伸ばしてストレッチを始めた木兎くんを見て、雪絵ちゃんは首をかしげた。「珍しいわね。ご機嫌とらなくて良いのは楽だわ」そして私に目を留めて、ごめんなさいね、と穏やかな口調で謝った。「ガキの相手は面倒くさかったでしょう。ありがとう」
「ううん。ちっとも」
面倒などど、これっぽっちも思っていなかった自分に、自分でも驚いた。下校時間が遅くなっても、友人に置いてきぼりにされても、木兎くんと話が出来て良かった、とさえ思っていた。「木兎くん、」とスパイクのような動作を始めた彼に呼びかける。
彼は振り下ろし途中で腕を止め、見えないボールの打点で手を止め、目の前にくる人差し指の爪を満足そうに眺めていた。「部活、頑張って」と月並みな言葉を言えば「さんきゅー!」と白い歯を見せて笑った。「なまえに話聞いてもらえて、俺、嬉しかった」
「聞くことしかできないけどさ」
照れ隠しに目の横を掻いて、私も笑った。「また構ってほしかったら、いつでも利用して。私のこと」
「わかった!じゃー、最後に一個だけ!」
そしてずかずかと私の方に歩み寄り、両手をとって、彼は私の耳に口を近づけた。
「次は、なまえの話ももっと聞かせてな」とびっきりの優しい声。
「ほんと?聞きたいの?」
くすくす笑って、笑いを押さえきれなくなって、じゃあ、私の自慢一個聞いてよ、とお返しに彼に耳打ちをした。木兎くんがえっ、と目を丸くして、視線を下げて「マジで!?スゲー!」と叫びだす。
「内緒話になってないよ、おふたりさん」
扉によりかかった雪絵ちゃんが、さも愉快そうに声を上げて笑った。「地球の裏まで丸聞こえデス」
その突っ込みにはにかみながら、私は、彼の右手の爪の表面を静かに撫でた。
おしまい。