第9章 wings
出会った時から思っていたのだが、檜佐木にはどうも恋人がいない。
しかし遂に一歩を踏み出したのなら私が協力してあげなければ…って感じで私は檜佐木から相手の名前を聞き出そうと粘る。
「だからいねぇって!」
顔面真っ赤で額から汗を流し、ギャグ顔のような見た目で反論してくる檜佐木には信憑性の欠片もない。
(ここは一旦引いて…。)
「…はいはい。居ないんですねわかりました。」
「そうだ。」
気が緩んだ顔で檜佐木が短く息を吐く。
これ以上聞かれないと思って安心したらしい。
(修兵さんって案外手強いな…これは飲み会で見張っておく必要があるわね。)
私は聞き出すのを諦めて、様子を伺うことに決めた。
好きな人が誰かなんてそうそう言えるものではないので、
檜佐木の行動から推測しようと思ったのだ。
「それで、いつなんですか?」
「明後日だ。それまで仕事頑張れよ。」
「修兵さんも頑張ってくださいね。」
「おう。」
お互い笑顔で反対方向に一歩歩き出そうとした時、檜佐木が意味ありげな横目を私に向ける。
「…?」
それが気になりつつも何歩か歩いていると、後ろから檜佐木の小さな呟きが聞こえてきた。
「言える訳…ないんだよな…。」
「へ?」
私は思わず振り返った。
距離が空いてハッキリと檜佐木の顔を見ることはできないが、
とても穏やかな表情で私をまっすぐ見つめていた。
「修兵さん…?」
「何でもねぇよ。じゃあな。」
手をヒラヒラとさせて檜佐木が去っていく。
一体何だったのか私にはよく解らなかったが、もし意味があるのならこの先答えはあるのだろうか。
(修兵さん、すっごい悪徳セールスマンみたいだったな。)
私にその答えが見つけられるかはまた別の問題であるが…。