第12章 唯-小鳥遊正嗣-
そういえば…『あの夜』も……。
あれほどの数の式神を初めて失った、あの夜。
励ましてくれたのもまた、彼だった…と、ふと○○は思い返しかけたが。
(あれ……?)
そうだったろうか、と○○は戸惑った。
何故なら、彼の元を訪れた記憶などないのだ。
なのに今、咄嗟に浮かんだのは、何なのだろうか……。
(あの夜は、部屋で一晩中泣き明かしたはず…なのに……)
正嗣によって刷り込まれた暗示は、しっかりと○○の記憶としてそこにあり、○○はそれが暗示であるなど知るべくもない。
けれど……。
(何だろう。何か……)
何かを忘れているような気がする。
それなのに、はっきり思い出せないのは、どうしてだろうか。
まるで霞でもかかったように、あの夜のことが欠落している。
ずっと泣き通しだったから、だろうか……。
そう考えてみても、何故か釈然としない。
式神を失くした天魔との戦いと、その翌朝のことは覚えているのに……。
またも、つい思案の波に一人沈んでしまった○○の耳に、正嗣の声が滑り込んだ。
「おや?もう飽きてしまったかな?」
またも軽口を叩く彼の声は、常に甘い。
魔声など用いずとも、十分に女性をその気にさせられそうだ。
○○は息を一つ置くと、何とか落ち着かせた面を上げて軽くねめつけた…のだが、そこには○○の好物の甘味がいつの間にか置かれていたりして。
「機嫌を直しておくれ、お嬢さん?」
「…………」
何と言うのか…もう……。
○○は卓の下で拳を握る。
ちょっと…いや、かなり悔しい。
全然まったく、敵わない。
「嫌いだったかな?」
なんて、好物と知ってるくせにわざわざそんなことを言ってくるのが、尚のこと恨めしい。
「そんなこと、ないです!」
うっかり反射的に返した途端、彼は楽しそうに笑い出す。
それが彼との時間の過ごし方。
大人の余裕な彼に、ちょっとむすっとしてしまう子供な自分を自覚させられながら、それでもここにいると、心が柔らかくなるような、そんな気がする。
だから自分は彼を訪ねてしまうのだ、と○○は思っていた。