第9章 乱されほだされて
部屋に一度返され、私は休むことになった。征十郎はそれ以上深く何かと問うこともなく、ただもう一度だけ頭を撫でて練習へと戻っていった。窓の外から彼らの練習風景を眺めることも出来たが、そんな気分にはとてもじゃないがなれなかった。
「敦君……」
彼の名を呼ぶ。僅かにまだ、思い出せる彼の唇。指先で触れてみても、そこに感触があるわけはなく、けれど少し熱を帯びて……。恥ずかしさと、戸惑いが入り混じって気持ち悪い。
嫌だった? わからない。ただ驚いて……それだけで。でも、自然と拒もうとは思わなかったような気がする。なんでかな。
「有栖」
「ん……? 誰」
扉の向こうで誰かの声がした。返事をすれば「青峰だけど――……」とだけ更に声を返ってきたのでどうしたのだろう? と思いつつも扉を開けた。
「青峰?」
「お、おう。今時間いいかよ」
「……え、いいけど」
「じゃあちょっと、売店近くでアイス食わね? 奢ってやるよ」
「へぇ……」
「へぇ、じゃねぇしっ! ほら、行くぞ」
背を向けた彼の後を追って、私も部屋を出た。売店に着けば、本当に宣言通りアイスを奢ってくれるもんだから、青峰って優しい奴なのか! とまた一つ彼のことを知ったのであった。