第3章 雨の診察室
【Vol.3:Psychiatric Clinic on a Rainy Day】
診察室に、30代の男性が入ってきた。
初診の患者だ。
春の音が聞こえる季節。
今日は小雨が降っていた。
夕暮れが近い。
それほど患者の多いときではなかった。
問診票に目を通すと、
症状の欄には「その他」とあった。
「今日は、どうされましたか?」
私は聞く。見た限りは悪そうなところはなかった。
視線もしっかりしている。
身なりも清潔で、短髪、さっぱりした印象だった。
「先生に会いに来ました。」
男性の言葉に私は面食らった。
私に?
「わからないですよね。
ボクは随分、大人になりましたから。」
「どちらかでお会いしましたか?」
もしかしたら、昔診た患者だったのだろうか?
しかし、覚えていないほど昔となるとこの患者が子供の頃、ということになる。
私はこれまで小児の診療をした経験はない。
では、患者の家族だったのだろうか?
「どなたかのご家族ですか?」
男は笑った。なんとなく、瞳が揺れている。
「母がお世話になりました。
実は、母は先日、亡くなりました。
天寿を全うしたと思います。」
それから、その男性は昔語りを始めた。
ーボクが先生に初めて会ったのは5歳位のことでした。
その頃、母はずっと父を怒鳴っていました。
目に見えない何かと会話をしていました。
時折、ボクに焼けた火箸を押し付けようとし、
父と押し合いの喧嘩になりました。
父は母を先生のところに連れてきました。
ちょうど、今日のような小雨の降る日でした。
ー先生は、母と話しました。
母は髪の毛もろくに手入れせず、
化粧もせず、ひどい顔をしていました。
時折急に大声を出しました。
でも、先生は真剣に母の話を聞きました。
それから、父の話を聞きました。
多分、父は泣いていたと思います。
私は父が泣くのを初めて見ました。
診察室で待っていた私は、とても怖かったのを覚えています。