第32章 【第二十八話】赤い紐の先
天青楼の裏口は、華やかな正面玄関とは別世界のように暗かった。
水路沿いの細い路地へ、湿った夜風が吹き抜ける。
遠くから聞こえる弦の音と笑い声だけが、この建物の内側に広がる世界をかすかに知らせていた。
ティファは外套の襟元を押さえ、扉の前に立つ。
小さく息を吸い、扉を二度、短く叩いた。
しばらくして、細く扉が開く。
中から現れたのは、ひと目でただ者ではないと分かる人物だった。
高い背丈に、厚い胸板。
滑らかな頭部と、目元を縁取るような濃い化粧。
耳元では大きな飾りが揺れ、肌に沿う黒い衣装の上には、鱗のような装飾が灯りを受けて鈍く光っていた。
天青楼の者らしい派手さはある。
けれど、それ以上に目を引くのは、客を迎える柔らかさではなく、店の奥へ不用意に踏み込む者を許さない、用心棒じみた圧だった。
その人物の視線が、面紗越しのティファの顔へ向く。
次に、布の隙間から覗く銀髪へ移り、髪へ挿された黒檀の簪で止まった。
ほんの一瞬、細い目が鋭くなる。
「……こちらへ」
低く、抑えた声だった。
名を問うことも、簪の出所を確かめることもない。
けれど、その短い一言で分かった。
この人は、簪の意味を知っている。
ティファは無言で頭を下げ、天青楼の中へ足を踏み入れた。