第31章 【第二十七話】黒檀の簪
振り返ると、ラビが立っていた。
少し離れた路地の陰には、ブックマンとアレン、クロウリーの姿も見える。皆、天青楼へ近付き過ぎない距離で待機するつもりなのだろう。
ラビはティファの前まで歩み寄ると、何も言わずに袖口へ手を伸ばした。
その手首には、母の形見である銀の髪紐が巻かれている。
ラビの指が、一瞬だけそこで止まった。
けれど、彼はそれに触れないように指先をずらし、髪紐のすぐ傍へ小さな赤い紐を結んだ。
「……これは?」
「目印」
ラビは結び目を確かめながら、低く言った。
「危なくなったら、窓からでも廊下からでもいい。見える場所へ落とせ。見つけたら、すぐ行く」
「でも、中へ入ったら見つけられるか分からないでしょう」
「探す」
即答だった。
翠の瞳が、真っ直ぐティファを見る。
「店が味方でも、そこにいる全員を信用すんな。何か起きたら、一人で何とかしようとすんなよ」
母の髪紐の隣で、赤い紐が夜風に小さく揺れた。
ティファはそれへ指を添え、静かに頷く。
「ええ。戻って来るわ」
その言葉に、ラビの目が僅かに揺れる。
けれど、彼はすぐには手を離さなかった。
「……絶対な」
掠れた声。
「うん」
ようやく離れた指先の熱が、夜気の中で妙に鮮明に残った。
ティファは薄い面紗を下ろし、天青楼の裏口へ向かって歩き出した。
背後で、ラビ達の気配が闇へ散っていく。
表では華やかな夜が続いている。
けれど、ティファが向かう裏口の先だけは、ひどく静かだった。
黒檀の簪が、結った髪の中でかすかに揺れる。
それを合図にするように。
天青楼の裏口が、音もなく開いた。