第30章 【第二十六話】灯籠の湖
Side:神田
朝の鍛錬場には、まだ誰もいなかった。
高い窓から差し込む白い光が、石造りの床へ細く落ちている。
神田は一人、六幻を振り抜いた。
一閃。
鋭い刃音が、冷えた空気を裂く。
踏み込む。
振り抜く。
返す。
いつもなら、それだけで余計な思考は削ぎ落ちていく。
けれど今日は、どうしても消えないものがあった。
地下水路の闇。
黒い髪の少年の幻。
そして、自分の団服を掴み、震える声で叫んだ女。
――勝手に、終わろうとしないで。
刃先が、僅かに揺れた。
「……チッ」
神田は舌打ちし、六幻を振り下ろす。
石床すれすれで刃を止めた。
ティファは、自分の過去を見た。
本来なら、突き放して終わりだった。
近付くな。
余計な同情を向けるな。
そう吐き捨てれば済むはずだった。
なのに、あの女は何も変えなかった。
恐れることも。
哀れむことも。
無理に聞き出そうとすることもなく。
ただ、いつも通りの顔で隣を歩いた。
――生きるための力でしょう。
汽車の中で聞いた、あの静かな声が耳の奥に残っている。
「……くだらねぇ」
自分へ吐き捨てるように呟く。
あいつには、もう選んだ男がいる。
そんなことは分かっている。
分かっているのに、視線が勝手に追う。
苛立つ。
鬱陶しい。
それでも、放っておけない。
否定するには、もう遅かった。