第28章 【幕間】神田/月影の楽園 後編
その時だった。
「ラビィィ!!」
とうとうアレンが目の前まで辿り着く。
ラビは「あ、やべ」と小さく呟くと、軽やかに身を翻した。
「じゃ、オレほんとに逃げる!」
「待ちなさい!!」
赤茶色の髪が、食堂の外へ飛び出していく。
その後を、アレンが全力で追い掛けていった。
騒がしい足音と叫び声が、廊下の奥へ遠ざかっていく。
やがて、食堂へ少しだけ静けさが戻った。
私は小さく息を吐く。
「……嵐みたいね」
向かい側で、神田が露骨に舌打ちした。
「毎日あれだ。鬱陶しい」
「でも、少し楽しそうだったわ」
「どこがだ」
即答だった。
私は思わず笑い、もう一度ざる蕎麦へ箸を伸ばす。
つゆへ麺を軽く浸け、口へ運ぶ。
今度は、わさびの刺激も丁度よかった。
「……やっぱり、美味しい」
小さく呟く。
神田は一瞬だけこちらを見る。
蒼い瞳が、ほんの僅かに和らいだように見えた。
けれど次の瞬間には、いつもの無愛想な顔へ戻っている。
「……伸びる前に食え」
短い声。
私は小さく笑った。
「ええ」
それ以上、会話は続かなかった。
けれど、その沈黙は不思議と心地よかった。
少し前までなら、神田と二人でこうして食事をする日が来るなんて、想像もしなかった。
私はただ、目の前の蕎麦をもう一口食べながら、静かにそう思っていた。
あの地下水路で見たものを知っても、私が何も変えなかったこと。
神田が何も言わず、ただ私を遠ざけなかったこと。
その沈黙を、ラビだけはきっと見逃していなかった。
その時の私は、まだ知らなかった。