第25章 【第二十四話】終幕なき夜・前編
長い静寂。
神田はしばらく私を見ていた。
その表情からは、何も読み取れない。
けれど、膝の上へ置かれた拳が、僅かに握られたのが見えた。
やがて。
「……くだらねぇ」
低い声。
吐き捨てるみたいな響き。
「勝手に人の中まで覗いた気になってんじゃねぇ」
「……そうかもしれないわね」
私は静かに返した。
「でも、気のせいだとは思えない」
神田の眉間へ、深い皺が寄る。
しばらく、互いに何も言わなかった。
やがて神田は、ふいと窓の外へ視線を戻す。
「……任務に関係ねぇ話は忘れろ」
それ以上、追及するな。
そう言われているのだと分かった。
私は小さく息を吐き、視線を落とす。
「……分かった」
けれど。
喉の奥で、『ニルヴァーナ』はまだ静かに脈打っていた。
やがて扉が開き、トマが戻ってきた。
彼は個室内の空気を一瞬だけ察したようだったが、何も聞かなかった。
ただ、静かに資料を広げる。
「次の停車まで、あと二時間ほどです」
落ち着いた声音。
「劇場側への紹介状は用意出来ました。予定を早めて、今夜の幕間へ飛び入りで歌う機会を作れそうです。支配人が気に入れば、そのまま次の幕へ組み込まれる可能性があります」
「到着してすぐ、ということね」
「はい。向こうに身元を調べる時間を与えずに済みます。支配人は突発的な演出を好む人物でもあるようです」
私は小さく頷いた。
「そこで、能力の正体を探るのね」
「はい。支配人が歌を舞台へ取り込もうとした時が、最も内情へ近付けるはずです」
神田は短く頷くだけだった。
私は小さく息を吐き、資料へ視線を落とす。
汽車はそのまま、闇の中を走り続ける。
さっきの会話の余韻だけが、まだ薄暗い個室の隅へ残っていた。