第3章 【第二話】次へ繋ぐ手
日が落ちる頃になると、私は訓練用の服を脱ぎ、簡素なドレスへ着替えた。
師匠が作った借金を返すため、夜の酒場で歌う仕事をしていたからだ。
もちろん、ニルヴァーナの力を人前で使うことはない。
魂へ直接触れる歌を、誰が見ているかも分からない場所で響かせるほど、私も無知ではなかった。
歌うのは、母が教えてくれた古い旋律や、旅の途中で覚えた民謡だけ。
それでも、荒んだ酒場の空気は、私が最初の一音を響かせると少しだけ静かになった。
酒に酔った男たちが、騒ぐのをやめてこちらを見る。
煙草の煙が立ち込める店内。
濁った笑い声。
酒瓶の触れ合う乾いた音。
その中心で、私はただ歌った。
歌っている間だけは、母のことを思い出しても、泣かずにいられた。
歌が終わると、拍手と歓声が上がる。
中には、必要以上に馴れ馴れしい声を向けてくる客もいた。
「お嬢ちゃん、今夜は俺の卓で歌ってくれよ」
「そんな怖い顔すんなって。酒くらい付き合えよ」
酔った男が、私の腕へ触れようとする。
避けようとした、その時だった。
「……彼女は、もう帰る時間です」
穏やかな声が、私の後ろから響いた。
振り向くと、アレンが立っていた。
まだ少年らしい小さな身体。
けれど、銀灰色の瞳は真っ直ぐ男たちを見据えている。
男の一人が、面白そうに笑った。
「なんだ坊主。姉ちゃんの護衛か?」
アレンは一瞬だけ言葉に詰まった。
けれど、視線は逸らさない。
「……そうです」
その答えに、私は思わず瞬きをした。
男たちは声を上げて笑ったが、店主が間へ入り、その場はそれ以上荒れなかった。