第9章 【第八話】記録者の選択
深夜の書庫は、古い紙とインクの匂いに満ちていた。
借りていた本を戻すため、灯りの落ちた棚の間を進んでいた、その時だった。
石柱の向こうから、低い声が聞こえた。
「……お前は四十九番目だ」
足が止まる。
聞き覚えのある、掠れた老人の声。
「ひとつの歴史に肩入れするために、ここにいるわけではない」
私は反射的に、本棚の影へ身を寄せた。
棚の隙間から差し込む月明かりが、向こう側に立つ二人を青白く照らしている。
背を向けて立つ、ラビ。
その正面に立つ、ブックマン。
いつも軽快に揺れているはずの翡翠色のバンダナが、今は微動だにしない。
「セトラの娘へ向けた情は、捨てろ」
ブックマンの低い声が、書庫の静寂へ沈んだ。
喉の奥が、僅かに強張る。
私のことを言っている。
「情は記録を曇らせる。まして、あれは中央庁さえ注視する存在だ」
沈黙。
ラビは何も答えない。
ただ、身体の横へ下ろされていた右手が、ゆっくりと拳を作っていく。
「お前が失うことを恐れた時点で、それはもう観察ではない」
胸の奥へ、冷たいものが落ちた。
昼間のラビの声が蘇る。
――離れられなくなるさ。
あの時、彼の瞳の奥に残っていた影。
それが何だったのか。
今になって、触れてはいけない形を取って目の前へ突き付けられた気がした。